|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 軍 : [ぐん] 1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops ・ 軍服 : [ぐんぷく] 【名詞】 1. military or naval uniform ・ 服 : [ふく] 1. (n,n-suf) clothes ・ 大日 : [だいにち] 【名詞】 1. Mahavairocana (Tathagata) 2. Great Sun 3. Supreme Buddha of Sino-Japanese esoteric Buddhism ・ 日 : [にち, ひ] 1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day ・ 日本 : [にっぽん, にほん] 【名詞】 1. Japan ・ 本 : [ほん, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 帝 : [みかど] 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence ・ 帝国 : [ていこく] 【名詞】 1. empire 2. imperial ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country ・ 陸 : [りく, ろく] (adj-na,n) six (used in legal documents) ・ 陸軍 : [りくぐん] 【名詞】 1. army
この記事では、明治維新の建軍から第二次世界大戦敗戦による解体まで、大日本帝国陸軍の軍人が着用した制服について解説する。軍服一般については軍服を参照。 == 概要 == 帝国陸軍はその建軍(藩兵を解散して御親兵や鎮台兵を設置)頃から、天皇および新政府の日本軍として軍服の統一を図るようになった。当初は軍制ともどもフランス陸軍(軍服)に範をとっていたが、普仏戦争の結果から明治19年の改正(明治19年2月24日内閣達14号(下士卒)及び明治19年勅令第48号(将校))において、ドイツ陸軍(軍服)に倣うようになった。しかしながら、明治38年・45年制式においてフランス陸軍式である肩章(ショルダーストラップ)を大々的に採用するなど、以降は列強各国の軍服の影響を受け、またそれらを研究しつつ帝国陸軍は独自の服制を構築する事となる。 将校准士官と下士官兵の服制には差異があり、明治33年勅令第364号により「陸軍服制」へ統一されるまでは、「陸軍将校服制」と「陸軍下士以下服制」が別個に規定されていた(「陸軍服制」内の陸軍服制表および図において「将校、准士官服制」と「下士官兵服制」は区別される)。なお、基本的に将校准士官の被服を含む軍装品一式は自弁調達する私物であり、各々の嗜好や資金力などにより細部の作りを含めて様々な個性が見られた。軍服を「お洒落」に仕立て「お洒落」に着こなすこれら瀟洒な帝国陸軍の文化は、古くは明治初期から一貫して存在していたものの、その傾向は昭和期が特に顕著であり、大正11年制式末・昭和5年制式・昭和13年制式においては若年層の間でいわゆる「青年将校文化(大11制・昭5制 / 昭13制)」が大流行している。 将校准士官の軍服・軍装品は生地等にある程度の制式規格が定められていたものの、上述の通り基本は私物でまた様式にも自由が利くものであった。将校准士官は民間の紳士服店・軍装品店・百貨店および、偕行社などで軍服をテイラー・メイドで誂えるのが一般的であったが、第二次世界大戦中は軍人の増加やその国状により、民間や偕行社を問わずレディ・メイドの品(既成服・吊るし服)が普及している(それら既成服も多種多様であり、注文服相当の高品質な物や瀟洒で個性のある物は多い)。下士官兵の軍服・軍装品は将校准士官以上の細かな制式規格に沿って、主に陸軍被服本廠・大阪陸軍被服支廠・広島陸軍被服支廠(大支・広支は昭和初期に新設。のちの1940年代頃にはさらに各地に増設)といった被服廠において製作・検定・管理される官給品である。なお、製作自体は官営の被服廠のみならず、民間業者(福助足袋、大塚製靴・日本製靴・千代田製靴等)に委託される事も多く、それらは納入後に各被服廠等にて検定を受けた。しかしながら、同制式の官給品でも製作時期や製作者によって作りに差異があり、また古参下士官兵には暗黙の了解として官給軍装品の私物化・改造(主に襟の張替え)、私物肩章襟章等の使用が認められていた。このように、帝国陸軍の軍服には階級を問わず、体裁の異なるものが多々存在する。 陸軍軍属に対しては上記とは別に「陸軍軍属従軍服制」が規定され、陸軍軍人の軍服に相当する従軍服が制定されていた。なお、この従軍服は製式や階級章などにおいて軍服とは異なった独自のものとなっていた。 File:ThirdFrenchMissionToJapan.jpg|1885年、陸軍士官学校において、フランス陸軍中尉(軍事顧問エチエン・ド・ヴィラール)と写る将校 File:Troops of the Eight nations alliance 1900.jpg|1900年、北清事変(義和団の乱)において、8ヶ国連合軍将兵と写る下士官ないし兵。左端よりイギリス軍、アメリカ軍、オーストラリア軍(海軍)、イギリスインド軍、ドイツ軍、フランス軍、オーストリア=ハンガリー軍(海軍)、イタリア軍、日本軍 File:Japanese_General_Kuroki_Tamemoto_and_British_Officier_Sir_Ian_Hamilton.jpg|1904年10月、沙河会戦において、イギリス陸軍将官イアン・ハミルトン(観戦武官)と写る、陸軍大将(第1軍司令官黒木為楨)以下将校 File:General Kuroki and his Staffs, Foreign Officiers and Correspondents.jpg|1904年10月、沙河会戦後に各国陸軍の将校(観戦武官)と写る陸軍大将(第1軍司令官黒木為楨)以下将校 File:Nogi and Stessel.jpg|1905年1月、旅順攻囲戦水師営の会見において、ロシア帝国陸軍中将(旅順要塞司令官アナトーリィ・ステッセリ) らと写る、陸軍大将(第3軍司令官乃木希典)以下日露陸軍の将校 File:Verhandlungen zum Vertrag von Portsmouth 1905 - Empfang der Delegierten.jpg|1905年8月、ポーツマス講和会議における日露米陸軍の将校 File:Major General Graves, U.S.A., Gen. Otani, Japanese Army, and Staff, Vladivostok, Siberia., ca. 1918 - ca. 1919 - NARA - 533738.tif|1918年ないし19年、シベリア出兵における陸軍大将(浦塩派遣軍司令官大谷喜久蔵)以下、日米英仏等各連合国陸軍の将校 File:FrenchMilitaryMissionToJapan.jpg|1919年、来日したフランス陸軍砲兵大佐(日本派遣フランス航空団長ジャック=ポール・フォール)らと写る日仏陸軍の将校 File:TogoAndFrenchAirforceMission.jpg|同左、来日したフランス陸軍航空部隊の将校と写る陸海軍の将校 File:Japanese Delegation arrived October 24th, 1921.jpg|1921年10月、ワシントン会議においてアメリカ陸海軍の将官と写る陸軍少将(参謀本部第2部長田中国重)以下、日米陸海軍の将校 File:Lt Gen Wada at Tomb of Unknown.jpg|1924年8月、アーリントン国立墓地無名戦士の墓において、顕花を行う陸軍中将(陸軍大学校長和田亀治)以下日米陸軍の将兵 File:Hitlerjugend second day in Japan August 17, 1938.jpg|1938年8月、来日したヒトラー・ユーゲント幹部・団員と写る将校 File:Battle of Lake Khasan-Soviet POW.jpg|1938年ないし1939年、張鼓峰事件において、捕虜となったソビエト連邦労農赤軍兵と写る陸軍憲兵上等兵(阿吾地憲兵分遣隊) File:Khalkhin_Gol_Captured_Japanese_soldiers_1939.jpg|1939年、ノモンハン事件において、ソ連軍将兵と写る兵(捕虜) File:Battle of HK 05.jpg|1941年12月、香港の戦いにおいて、イギリス陸軍少将(香港駐屯軍司令官クリストファー・マルトビイ)の降伏交渉に当たる、陸軍中将(第23軍司令官酒井隆)以下日英陸軍の将校。立姿の中央左は従軍服を着用した通訳担当の陸軍軍属判任官 File:Surrender of American troops at Corregidor.jpg|1942年5月、フィリピン攻略戦において、捕虜のアメリカ極東陸軍将兵と写る下士官兵 File:Savoia-Marchetti SM.75 GA RT in East Asia.jpg|1942年7月、SM.75 GA RTで来日したイタリア空軍少佐(アントニオ・モスカテッリ)以下、イタリア王国軍将兵と写る将校 File:Doolittle Raider RL Hite blindfolded by Japanese 1942.jpg|1942年、ドーリットル空襲において、捕虜となったアメリカ陸軍航空軍将校を連行する憲兵下士官ないし上等兵 File:Nationalists and Japanese Army officers.jpg|1942年頃、モハマッド・ハッタらインドネシア独立運動家らと写る将校および、従軍服を着用した陸軍軍属高等官(手前最左等) File:Falkenhorst onodera morath fjell festning 1943 triple 28 cm triple naval gun gneisenau.jpg|1942年12月、ドイツ国防軍第21軍の要塞を視察訪問した陸軍大佐(スウェーデン公使館付武官小野寺信)以下、日独陸海空軍の将校。なお、後方の要塞砲(28.3cm 3連装砲)は廃艦となった巡洋戦艦「グナイゼナウ」の第2砲塔 File:Nikolaus von falkenhorst-robert morath-makoto onodera-eberhard freiherr von zedlitz und neukrich.jpg|同左掲写真。ドイツ陸軍上級大将(第21軍司令官ニコラウス・フォン・ファルケンホルスト、左端)らと写る陸軍大佐(スウェーデン公使館付武官小野寺信) File:Bundesarchiv Bild 101I-262-1544-13, Südfrankreich, Offiziere mit Ferngläsern.jpg|1943年、南フランスのドイツ国防軍要地を視察訪問した陸軍中将(駐ドイツ大使大島浩)以下、日独陸軍の将校 File:Japanese-delegation-leaving-uss-missouri-k15394.jpg|1945年9月、日本の降伏式典において、アメリカ海軍将兵の敬礼を受け戦艦「ミズーリ」から退艦する陸軍大将(参謀総長梅津美治郎)以下将校 File:Japanese surrender at Singapore, 1945.jpg|1945年9月、シンガポール方面日本軍降伏式典において、イギリス海軍・陸軍・イギリスインド軍将兵らとともに会場から退出する将校、 File:Japanese surrender (AWM 019296).jpg|1945年9月、ニューギニア方面日本軍降伏式典において、オーストラリア陸軍中将(ホレス・ロバートソン)に対し、その証として自身の軍刀(将校准士官刀)を手渡す陸軍中将(第18軍司令官安達二十三)以下、日豪陸軍の将兵 File:A Gurkha soldier guards Japanese prisoners on their way to POW camps outside Bangkok, September 1945. IND4839.jpg|1945年9月、バンコクの捕虜収容所にてイギリスインド軍の兵(グルカ兵)と写る下士官兵 File:Japanese Peace Emissaries Arrive at Rangoon, Burma, 1945 SE4588.jpg|1945年、ラングーンにてイギリスインド軍中将と写る陸軍中将(南方軍総参謀長沼田多稼蔵、左端) File:British Reoccupation of Singapore, 1945 IND4812.jpg|1945年、シンガポールにてイギリスインド軍少佐(第5インド師団)と写る陸軍少将(第7方面軍参謀副長志村文雄、右端)および陸軍大佐(中央右)。中央左は従軍服を着用した通訳担当の陸軍軍属高等官(奏任官七等) File:Ando Rikichi surrender.jpg|1945年10月、台湾方面日本軍降伏式典において、中華民国国民革命軍二級上将(陳儀)と、降伏文書を交わす陸軍中将(第10方面軍参謀長諫山春樹) File:Japanese War Crimes Trials. Manila - NARA - 292615.jpg|1945年10月、マニラ軍事裁判において、アメリカ陸軍憲兵少佐と写る陸軍大将(第14方面軍司令官山下奉文) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「軍服 (大日本帝国陸軍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|